長岡京と四神相応について
四神相応とは
古代中国では、都を建設する土地について、四神相応の土地がもっとも良いとされた。
即ち、四神相応の土地とは、以下の表の通りで、北(玄武)に山、東(青龍)に大川、西(白虎)に大道、南(朱雀)に湖沼を備えた土地である。
北(=玄武) | 山 |
---|---|
東(=青龍) | 大川 |
西(=白虎) | 大道 |
南(=朱雀) | 湖沼 |
平城京は四神相応だったか?
和銅元(708)年に、元明天皇が出した詔勅の中に、平城京に関して次の一文がある。
『平城之地。四禽叶図。三山作鎮。亀籤並従。冝建都邑』
(『続日本紀』西島政之 経済雑誌社)
※旧漢字は改めた
このことから「平城京は四神相応」と信じられている。
しかし、平城京の実際の地形を俯瞰して見れば何ひとつ「四神相応」では無いことが判る。かろうじて、山(玄武)が合致するかしないか程度でしか無い。
この元明天皇の詔勅にある「四禽叶図(四神相応)」は遷都計画を進めるための単なる方便に過ぎないのであって事実では無い。
地形的に見て、平城京は四神に守護された都とは言えない。
長岡京と四神相応
四神相応の土地の条件を踏まえた上で、長岡京の造営された山背国乙訓郡の土地を見ることにする。
(長岡京と四神相応)
【1】(北=玄武) | 山 | 向日丘陵・西山・愛宕山 |
---|---|---|
【2】(東=青龍) | 大川 | 桂川(葛野川) |
【3】(西=白虎) | 大道 | 山陰道・山陽道 |
【4】(南=朱雀) | 湖沼 | 巨椋池 |
長岡京は、北には向日丘陵から西山、さらに愛宕山にかけた高地があり(【1】)、東には清さを誇る桂川(葛野川)が北から南へ向けて流れており(【2】)、西には丹波方面から日本海方面へ向かう山陰道や、瀬戸内沿いに西国へ向かう山陽道が走り(【3】)、南には巨大な巨椋池が控え(【4】)ている。
長岡京こそは、まさに四神を備えた「王城の地」であった。
長岡京こそは四神相応の理想の都
文献上、長岡京と四神の関係は詳らかではないが、実際の地理上から見て、長岡京造営に当たって、これらの地形上の特徴は充分に勘案されたことは、間違いないと思われる。
長岡京こそは、日本史上で初めて、王都に相応しい「四神相応の都」として、設計され造営された都であった。
そこには、桓武天皇の強い意思と、藤原種継の並々ならぬ才気が感じ取れる。