淀城南堀【長岡京の九条大路】

淀城南堀について

【表記】 淀城南堀
【読み】 よどじょうみなみぼり

淀城南堀とは

現存している淀城(徳川淀城)址は、寛永2(1625)年に徳川幕府によって竣工されたもの。

淀城南堀と長岡京九条大路

長岡京造営から約840年を経過してから後に、築城された淀城の堀が、長岡京の九条大路に沿っていることは、とても興味深い。

従来の淀城南堀と長岡京九条大路との位置関係
(従来の淀城南堀と長岡京九条大路との位置関係)

最新の研究結果では、九条大路の位置が改められて、淀城の北側を九条大路のラインが走ることとなっている。

最新の淀城南堀と長岡京九条大路との位置関係
(最新の淀城南堀と長岡京九条大路との位置関係)

淀城の築城に当たり、長岡京の九条大路が意識されたか?どうか?は不明である。

淀城南堀のまとめ

淀城の南堀は、長岡京の九条大路に、ほぼ沿って存在していると考えられていた。

しかしながら、他の地域の発掘調査等から最新の研究結果では、長岡京の九条大路は淀城の北側に位置すると見られている。

現在の淀城址地域における長岡京の九条大路に関する問題は、長岡京が造営された当時、淀城のある土地が桂川に旧宇治川が注ぎ込む巨椋池に隣接する湿地帯であったと考えられる点にある。

つまり地盤の脆弱な土地で、しかも大きな河川を跨ぐようにしての「大路」の建設は現実的には困難なものであったと思われる。

従って、淀城南堀周辺に長岡京の右京域から東進し、淀川を渡ったところからさらに東進する「九条大路」跡が存在するのか?どうか?は疑問の残るところである。

また、そもそも長岡京に九条大路の造成自体があったのか?なかったのか?が不明であり、何より長岡京の都城としての形そのものが未だはっきりしていないのである。

従って、長岡京が平城京・平安京に類する型の都城であった場合、この淀城付近に九条大路が通っていた可能性が僅かにあるとしか言えない。

淀城南堀への行き方

現地には駐車場等は無いため公共交通機関の利用がおすすめ。

公共交通機関

鉄道

京阪本線「淀駅」から徒歩5分。

バス

阪急京都線「西山天王山駅」から阪急バス・京阪バス共に90系統で京阪本線「淀駅」下車して徒歩5分。