元稲荷古墳【乙訓地方最古級の前方後方墳!】

元稲荷古墳
(元稲荷古墳)

元稲荷古墳の概要

【時代】 3世紀後半
【墳丘の形状】 前方後方墳
【墳丘長】 約94メートル

元稲荷古墳について

古墳時代初期の前方後方墳。

向日丘陵古墳群の中で唯一の前方後方墳。

3世紀後半頃に築造された古墳で乙訓地方最古級の古墳である。

元稲荷古墳の名称については、

『古墳の名称はかつて後方部の上方に稲荷社が祀られていたことに由来』

(元稲荷古墳第5次調査 現地説明会資料『元稲荷古墳後方部後端の調査』向日市教育委員会 財団法人向日市埋蔵文化財センター)

するとされる。

向日丘陵(長岡)の南端部(標高約55メートル)に前方部をほぼ南に開く形で京都盆地から見上げる場所に位置するこの古墳は、山代国(山背国・山城国)弟国(乙訓)地方を治めた首長の権威を示す象徴とされる。

元稲荷古墳と向日丘陵(長岡)
(元稲荷古墳と向日丘陵)

向日丘陵(長岡)の地形を利用し後方部の一段目の途中までは地山を削り出して墳形を造り、そこに盛り土をする形で築造された古墳である。

なお、盛り土に弥生時代の土器や石器が混じっており、また下層の地質等から判断して、この地には本来、弥生時代の集落が存在しており、その集落を破壊・削平した上に元稲荷古墳は築造されたものと見られる。

他に盛り土には縄文時代以前の遺物も混じって発見されたが、盛り土用として採取された際に混入したものと考えられる。

昭和時代以降、墳丘の全長は約92メートルとされていたが、近年の調査で全長は約94メートルとされている(前方部約43メートル・後方部約50メートル・誤差を含む)。

元稲荷古墳
(元稲荷古墳)

近年俄かに主流となりつつある「前方後円墳体制」説において、元稲荷古墳は、古墳時代前期にヤマト王権(大和朝廷)の大王墓級の技術を導入して築造されながらも、前方後円墳では無く前方後方墳と言う墳形に制限されていることから、ヤマト王権(大和朝廷)に対して独自性を有した首長の墓ではないかと見られている。

元稲荷古墳の前方部

【前方部長さ】 約43メートル
【前方部幅】 約47メートル
【段丘】 2段
【くびれ部幅】 約23メートル

元稲荷古墳の後方部

【後方部長さ】 約50メートル
【後方部最大幅】 約50メートル
【段丘】 3段
【くびれ部幅】 約23メートル

元稲荷古墳が造られたのはいつ?

元稲荷古墳が築造された時期については、

『神戸市西求女塚古墳(98m)は近似した規模を有し、さらに2分の1規模にあたるたつの市権現山51号墳(42.7m)が存在します。両古墳には最古相の中国製三角縁神獣鏡が副葬されており、後者については特殊器台形埴輪が供伴しています。箸墓古墳に極めて近い時期の築造であることが想定されます。元稲荷古墳についてもそれらの古墳に遅れることなく造られたと見なされます』

(元稲荷古墳第5次調査 現地説明会資料『元稲荷古墳後方部後端の調査』向日市教育委員会 財団法人向日市埋蔵文化財センター)

と言うことから古墳時代前期の3世紀後半頃とされる。

ヤマト王権(大和朝廷)が三輪山山麓に築造した箸墓古墳(箸中山古墳・大市墓)とほぼ同時期に築造されたのが元稲荷古墳である。

箸墓古墳(箸中山古墳・大市墓)
(箸墓古墳)

また、別説として、

『前期の前方後方墳は各地に点在している。愛媛県今治市の雉之尾古墳、京都府向日市の元稲荷古墳、滋賀県大津市の皇子山古墳、三重県嬉野町の筒野古墳、千葉県長南町の能満寺古墳、栃木県湯津上村の上侍塚などがそれで、地域によっては、最初に築かれた高塚が前方後方墳の可能性のところさえある』

(『古墳と古代文化99の謎』森浩一 サンポウ・ブックス)

との前提から元稲荷古墳を見て、

『前期古墳でも古い様相であることから、元稲荷古墳は四世紀初頭の時期に比定されている』

(『京都の歴史を足元からさぐる 丹後・丹波・乙訓の巻』森浩一 学生社)

として元稲荷古墳の築造年代を4世紀前半の初期と見る説もある。

4世紀前半説を裏付けるように、近年では、これまで向日丘陵古墳群を内含する乙訓古墳群で「最古」と言われていた元稲荷古墳の築造年代も、元稲荷古墳から北へ500メートルほどに位置する五塚原古墳の方が古いことが判明つつある。

五塚原古墳の方が築造年代が古いとすれば、首長墓を同時期に2基も築造する可能性は低いことから、元稲荷古墳の築造年代を五塚原古墳が築造されたと見られる3世紀後半から数十年後の4世紀前半初期と考えることは合理的と思われる。

元稲荷古墳の埋葬施設

【所在】 後方部
【棺】 木棺
【施設】 竪穴式石槨
【全長】 5.6メートル
【高さ】 1.9メートル
【幅】 1メートル(南端部)~1.3メートル(北端部)
【天井石】 11枚

元稲荷古墳の副葬品

【武具】 鉄製剣・鉄製刀・鉄製刀子・鉄製槍・鉄製鏃・銅製鏃 等
【農工具】 鉄製鋤・鉄製斧・鉄製ノミ・鉄製鍬先・鉄製刺突具 等

元稲荷古墳の出土品

【埴輪】 特殊器台形埴輪・二重口縁壺形埴輪 等

元稲荷古墳の陪冢

【有無】 有り
【基数】 2基

元稲荷古墳の相似形古墳

元稲荷古墳には相似形の古墳として、箸墓古墳(箸中山古墳・大市墓)や西殿塚古墳が挙げられる。

これらの古墳は、墳丘の形状や墳丘長こそ一致しないが、後円部と前方部の比率が元稲荷古墳の後方部と前方部の比率に近い。

箸墓古墳(箸中山古墳・大市墓)

【時代】 3世紀後半
【墳丘の形状】 前方後円墳
【墳丘長】 約276メートル
【備考】 倭迹迹日百襲姫命墓

箸墓古墳(箸中山古墳・大市墓)
(箸墓古墳)

元稲荷古墳は、箸墓古墳(箸中山古墳・大市墓)の約3分の1のサイズとなっている。

元稲荷古墳と箸墓古墳との比較

元稲荷古墳と箸墓古墳との主要な数値の比較は以下の通りである。

元稲荷古墳
  • 墳丘長
    約94メートル
  • 後方部長さ
    約50メートル
  • くびれ部幅
    約23メートル
  • 前方部長さ
    約43メートル
  • 前方部端幅
    約47メートル
箸墓古墳
  • 墳丘長
    約276メートル
  • 後円部長さ
    約160メートル
  • くびれ部幅
    約63メートル
  • 前方部長さ
    約120メートル
  • 前方部端幅
    約140メートル

西殿塚古墳

【時代】 3世紀後半
【墳丘の形状】 前方後円墳
【墳丘長】 約219メートル
【備考】 継体天皇皇后手白香皇女衾田陵

西殿塚古墳
(西殿塚古墳)

元稲荷古墳は、箸墓古墳(箸中山古墳・大市墓)の約2.5分の1のサイズとなっている。

元稲荷古墳と西殿塚古墳との比較

元稲荷古墳と箸墓古墳との主要な数値の比較は以下の通りである。

元稲荷古墳
  • 墳丘長
    約94メートル
  • 後方部長さ
    約50メートル
  • くびれ部幅
    約23メートル
  • 前方部長さ
    約43メートル
  • 前方部端幅
    約47メートル
西殿塚古墳
  • 墳丘長
    約219メートル
  • 後円部径
    約135メートル
  • くびれ部幅
    不明(データ無し)
  • 前方部長さ
    約84メートル
  • 前方部端幅
    約118メートル

元稲荷古墳の同形古墳

元稲荷古墳と同形古墳として西求女塚古墳が考えられている。

西求女塚古墳

【時代】 3世紀後半
【墳丘の形状】 前方後方墳
【墳丘長】 約98メートル

西求女塚古墳
(西求女塚古墳)

西求女塚古墳は、当初、前方後円墳と考えられていたが、その後の調査で、

『調査の結果、墳形は前方部を東に向けた前方後方墳であることが判明した』

(『西求女塚古墳 第5次・第7次発掘調査概報』安田滋(編) 千草浩 松林宏典 石島三和 神戸市教育委員会文化財課)

古墳である。

元稲荷古墳と西求女塚古墳との比較

元稲荷古墳と西求女塚古墳との主要な数値の比較は以下の通りである。

元稲荷古墳
  • 年代
    3世紀後半
  • 墳丘長
    約94メートル
  • 後方部長さ
    約50メートル
  • くびれ部幅
    約23メートル
  • 前方部端幅
    約47メートル
西求女塚古墳
  • 年代
    3世紀後半
  • 墳丘長
    約98メートル
  • 後方部長さ
    約52メートル
  • くびれ部幅
    約25メートル
  • 前方部端幅
    約49メートル

『元稲荷古墳については神戸市西求女塚古墳と墳丘裾の外郭線がほとんど一致する状況を確認でき、両者は同一のモデルプランからつくられたとみられます』

(『平成25年度調査研究成果展「王墓発掘」リーフレット 元稲荷古墳』向日市教育委員会 公益財団法人向日市埋蔵文化財センター)

漢字が倭(日本)に朝鮮半島から伝えられたのは4~5世紀とされる。そうなると、文字も無く詳細な設計図も無い中で、約100メートルに及ぶ築造物をどのようにして同形に造り得たのか?興味の尽きないところで、これからのさらなる調査が期待される。

ただし、元稲荷古墳と西求女塚古墳には、多くの点で、かなり大きな差異も見られる。

段丘については、元稲荷古墳が前方部2段・後方部3段であるのに対して、西求女塚古墳は前方部3段・後方部4段である。

西求女塚古墳の前方部に関しては、

『前方部の形状は、従来考えられていたように直線的に広がっているものではなく、先の方ほど両側に開く「撥形」とよばれる形になっていることが判明しました』

(『西求女塚古墳 第12次調査現地説明会資料』神戸市教育委員会)

とされるのに対して、元稲荷古墳の前方部は、

『前方部の形状は箸墓古墳のようにくびれ部からゆるいカーブを描きながら前端に向けてひろがる「バチ形」ではなく、直線的にひらいていく形状』

(『元稲荷古墳第8次調査現地 説明会資料 元稲荷古墳前方部前半(西南側)の調査』向日市教育委員会 財団法人向日市埋蔵文化財センター)

をしている。

また、西求女塚古墳と決定的に違うのは、

『西側のくびれに近い部分では(略)詳しい形状は不明ですが、張出部や渡り堤と呼ばれる施設が存在したものと考えられます』

(『西求女塚古墳 第12次調査現地説明会資料』神戸市教育委員会)

とされることで、このような古墳に付属する施設は、元稲荷古墳では存在を確認されていない。

元稲荷古墳では、

『東側くびれ部において、葺石と墳丘の外側に広がる礫敷を確認』

(『元稲荷古墳第4次調査現地 説明会資料 元稲荷古墳前方部前半(西南側)の調査』向日市教育委員会 財団法人向日市埋蔵文化財センター)

しており、これが初期の前方後方墳における祭祀用施設ではないかとされるものの確定的では無い。

こうして見ると、元稲荷古墳と西求女塚古墳は外郭線が近しいものの墳墓としての造りの点を見るならば、「格」としては西求女塚古墳の方が元稲荷古墳よりも遥かに優位であったように思われる。

元稲荷古墳の沿革

江戸時代の絵図では元稲荷古墳の南に隣接する向日神社(向神社・創建は奈良時代)の本殿が、現在の東向きでは無く南向きに描かれている。

『なお『都名所図会』巻四にかかげる挿絵をみると、向日神社の本殿はこの古墳を背景にして建ち、あたかも古墳を遥拝するように描かれている。おそらく同社はこの古墳を神社化したものであろう』

(『昭和京都名所圖會 洛南』竹村俊則 駸々堂出版株式会社)

以上のように江戸時代以前には、元稲荷古墳そのものを信仰の対象としていた可能性がある。

『都名所図会』巻四の挿絵は、国際日本文化センターのWEBサイトで閲覧可能。

しかし、その江戸時代に、元稲荷古墳は盗掘に遭い副葬品のほとんどを失う。

大正時代、京都府史蹟勝地調査会が乙訓地方で行った踏査の結果「前方後円墳」であることが確認される。

昭和35(1960)年、後方部に、向日町(現在の向日市)の町営水道貯水池が建設計画が持ち上がる。

建設計画を推進する向日町と古墳の保護を求める京都府文化財保護課との話し合いは決裂し、町営水道貯水池が建設され、後方部に遺されていた日本史上貴重な存在であった竪穴式石槨は破壊される。

こうして後方部が破壊された時、向日神社の老朽化した社務所建て替えの費用を捻出するために前方部を削平し更地にした上で建て売り住宅を建設する計画が持ち上がったが、「乙訓の文化遺産を守る会」を中心とした保護運動により、かろうじて救われた。

保護運動は、京都大学の調査へと繋がり、これが、元稲荷古墳の価値を日本史レベルへと引き上げる結果となる。

元稲荷古墳周辺は勝山公園として整備され墳丘は保存維持されて行く。

また、一連の調査で前方後円墳では無く前方後方墳であることが判明する。

その後、都出比呂志氏が向日丘陵(長岡)に築造された首長墓の変遷に着目し完成させた日本各地の古墳を語る際の定型となる「首長墓系譜論」における基準として、元稲荷古墳は位置するようになる。

近年では、五塚原古墳(前方後円墳)の方が元稲荷古墳(前方後方墳)よりも古い築造の可能性が指摘されたことで、元稲荷古墳は、ヤマト王権(大和朝廷)と地方の在り方を考える上で、ますます重要な存在となっている。

元稲荷古墳と長岡京

長岡京内の地理では、長岡宮と右京との境目、西一坊大路上に位置している。

元稲荷古墳と西一坊大路
(元稲荷古墳と西一坊大路)

上図の色付き線が西一坊大路であり、もしも西一坊大路が造成されていたら元稲荷古墳は削平されていたと思われる。

当時の土木技術では西一坊大路の造成が不可能な地形に元稲荷古墳が位置していたことで破壊を免れたと言える。

元稲荷古墳の年表

年表
  • 大正8(1919)年
    京都府史蹟勝地調査会に拠る踏査。
  • 昭和35(1960)年
    京都大学に拠る発掘調査実施。
  • 昭和40(1970)年
    京都大学に拠る第2次発掘調査実施。
  • 平成19(2007)年
    向日市教育委員会・向日市埋蔵文化財センターに拠る第3次調査現地説明会実施。
  • 平成20(2008)年
    2月16日
    向日市教育委員会・向日市埋蔵文化財センターに拠る第4次調査現地説明会実施。
  • 平成21(2009)年
    2月21日
    向日市教育委員会・向日市埋蔵文化財センターに拠る第5次調査現地説明会実施。
  • 平成22(2010)年
    2月28日
    向日市教育委員会・向日市埋蔵文化財センターに拠る第6次調査現地説明会実施。
  • 平成24(2012)年
    2月18日
    向日市教育委員会・向日市埋蔵文化財センターに拠る第8次調査現地説明会実施。
  • 平成24(2012)年
    9月22日
    向日市教育委員会・向日市埋蔵文化財センターに拠る第9次調査現地説明会実施。
  • 平成25(2013)年
    3月3日
    向日市教育委員会・向日市埋蔵文化財センターに拠る第10次調査現地説明会実施。
  • 7月6日
    『平成25年度調査研究成果展「王墓発掘」リーフレット 元稲荷古墳』、発行。
  • 平成28(2016)年
    3月1日
    国指定史跡「乙訓古墳群」に包含される。

元稲荷古墳への行き方

公共交通機関

鉄道

阪急京都線「西向日駅」西口から徒歩15分。

「西向日駅」は、準急・普通のみしか停車しない。

阪急京都線「東向日駅」西口から徒歩25分。

「東向日駅」は、準急・普通のみしか停車しない。

JR京都線「向日町駅」から徒歩30分。

「向日町駅」は、快速・普通のみしか停車しない。

バス

阪急バス「向日市役所前」バス停から徒歩10分。

JR京都線「向日町駅」から63・64・66の各系統のバスを利用(1時間に2~3本程度の運行)。阪急京都線「東向日駅」から63・64・66・80の各系統のバスを利用(1時間に2~3本程度の運行)。JR京都線「長岡京駅」から阪急バス80系統を利用(2時間に1本程度の運行)。

阪急バス「向日台団地前」バス停から徒歩5分。

JR京都線「向日町駅」から63・64・66の各系統のバスを利用(1時間に1本程度の運行)。阪急京都線「東向日駅」から63・64・66・80の各系統のバスを利用(1時間に1本程度の運行)。JR京都線「長岡京駅」から阪急バス80系統を利用(2時間に1本程度の運行)。

向日市営コミュニティバスぐるっとむこう 南ルート・北ルート「向日市役所前」バス停から徒歩10分。

JR京都線「向日町駅」・阪急京都線「東向日駅」からコミュニティバスぐるっとむこうに乗り換え。コミュニティバスぐるっとむこうは、1時間に1本あるかないか程度の運行。平日のみの運行(土日祝は休み)。