目次
元稲荷古墳の前方部の概要
(元稲荷古墳の前方部 赤色の部分)
【前方部長さ】 | 約43メートル |
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【前方部幅】 | 約47メートル |
【前方部高さ】 | 約3メートル |
【くびれ部幅】 | 約23メートル |
元稲荷古墳の前方部の形状
元稲荷古墳の前方部は、2段となっている。
元稲荷古墳の前方部の形状は、近隣に存在する五塚原古墳(前方後円墳)とは異なる形状をしていることが判明している。
『前方部の形状は「バチ形」ではなく、くびれ部から直線的にひらいていることがはっきりと確かめられた』
(『元稲荷古墳第8次調査 現地説明会資料 元稲荷古墳前方部前半(西南側)の調査』向日市教育委員会 財団法人向日市埋蔵文化財センター)
元稲荷古墳よりも時代的に早く築造されたと考えられる五塚原古墳の前方部が曲線的に「撥形(バチ形)」で広がるのに比べて、元稲荷古墳は直線的に広がりを見せている。
古い築造様式の古墳の前方部からは新しさを示している。
それでいて一方では、
『前方部は直線的にのびて西側では前半側をわずかに屈曲させ、前端裾の形が直線にならないなど最古型式特有の「撥形」前方部の名残を留めています』
(平成25年度調査研究成果展「王墓発掘」リーフレット 元稲荷古墳 最古の大型前方後方墳』向日市教育委員会 公財 向日市埋蔵文化財センター)
前方端は直線では無く、外側へ緩く円を描く「撥形(バチ形)」となっている。
この前方部における新旧二種類の様式が意図的に為されたものなのか偶然そうなっただけなのかは不明である。
ただ、最古の様式と次の世代の様式とをひとつの前方部に併せ持つところが元稲荷古墳の魅力のひとつと言えるのかも知れない。
元稲荷古墳の前方部の高さ
元稲荷古墳の前方部の高さは、4メートルである。
しかし、
『前方部は左右非対称で墳丘裾の高さは東側が約0.5m低く、斜面幅も約1m長いことから東へ傾斜する地形を利用してつくられていたと考えられます』
(『元稲荷古墳第8次調査 現地説明会資料 元稲荷古墳前方部前半(西南側)の調査』向日市教育委員会 財団法人向日市埋蔵文化財センター)
向日丘陵(長岡)の地形を大きく整地するのでは無く、傾斜に拠って生じる誤差をそのまま墳丘で修正するような形となっている。
元稲荷古墳の前方部の外観
盛り土の高塚を石材で固める装飾が行われている。
中でも2段目斜面の根石列には大きな石材が用いられている。この様式は、吉備地方の古墳に見られる特徴とされる。
それ以外の部分には、小さい丸礫が使用されている。
実は、この辺りの石材の使い方等は、後方部とは異なっている。
このため完成時には、前方部と後方部とでは統一感に欠ける随分とチグハグな印象を与えたものと思われる。
元稲荷古墳の前方部の祭祀施設
前方部には、埋葬施設の存在は確認されていない。
前方部墳頂の中央部に、南北幅約2メートル・東西幅約4メートルの平地がある。
(元稲荷古墳前方部の祭祀施設)
この平地部からは、埴輪の破片に交じり、円筒埴輪の底の部分が原型のまま残されていた。このことから、ここに埴輪が設置されていたものと見られる。
破片等の調査から設置されていた埴輪は円筒埴輪と壷形埴輪である。
このうち円筒埴輪は、箸墓古墳(箸中山古墳)・都月一号墳出土の円筒埴輪と類似することが判明している。
(箸墓古墳)
ただ、箸墓古墳・都月一号墳出土の円筒埴輪は、弥生時代の器台形土器やその上に乗せた壺を模して作成された一体型を祭祀用として制作されたものとされる。
これに対して、元稲荷古墳は円筒の器台と壺が別々に制作されたものである。
つまり、類似する円筒埴輪でありながら、その制作方法が異なる。
このことから当時の山背国乙訓地方は、ヤマト王権(大和朝廷)から祭祀面・文化面での影響を色濃く受けつつも独自の様式も保持する状態にあったと言える。
もしくは、ヤマト王権(大和朝廷)に比して、祭祀面・文化面で及ばないながらも、独自の祭祀・文化・技術を持っていたと言えるのかも知れない。
元稲荷古墳への行き方
公共交通機関
鉄道
阪急京都線「西向日駅」西口から徒歩15分。
阪急京都線「東向日駅」西口から徒歩25分。
JR京都線「向日町駅」から徒歩30分。
バス
阪急バス「向日市役所前」バス停から徒歩10分。
阪急バス「向日台団地前」バス停から徒歩5分。
向日市営コミュニティバスぐるっとむこう 南ルート・北ルート「向日市役所前」バス停から徒歩10分。